(もういちど流行歌)シリーズ
<(もういちど流行歌)「TOMORROW」>
大使の新聞スクラップの一つに(もういちど流行歌)シリーズがあるのだが・・・
今回の岡本真夜「TOMORROW」がええでぇ♪ということで、紹介します。
2016/07/09
(もういちど流行歌)「TOMORROW」岡本真夜 たくさん泣いた人々に届いたより
1月17日の阪神淡路大震災、3月20日の地下鉄サリン事件。1995年、日本は年明けから災禍が続きました。心が凍りつく中、5月に発売されたのが「TOMORROW」でした。
♪ ♪
打ちひしがれる人にとって、それは自身への応援歌のように聞こえた。
「『涙の数だけ強くなれるよ』というフレーズは、会社の倒産などで失業し、必死に資格の勉強をしてたときにどれだけ励ましになったことか!」(東京、64歳女性)、「阪神淡路大震災のあと、毎日のように流れていた。今でも聞くたびに目の奥が熱くなる」(大阪、57歳男性)。
高知の県立高校を卒業した岡本真夜さん(42)が、上京してから最初に作詞・作曲したのがこの曲だった。もともとは故郷の友だちを励ますために作ったという。「デビューまでのいろんな準備をしているとき、友だちが悩みを抱えていて……」
21歳でデビューする3年前のこと。
「電話だったり手紙だったりで話を聞いていたんですけど、すぐに帰ってあげることもできなくて。何か力になりたいって思ったときに生まれた楽曲です」
「涙の数だけ強くなれる」と教えてくれたのは祖父だった。
「家庭の事情で祖父母が両親代わりに育ててくれまして、卒業して上京することと、この業界に入ることを大反対されていて」
反対を押し切って故郷を後にして数カ月後、祖父から手紙が届く。孫娘を励ます内容だった。
「手紙の最後に『涙が多いのが人生なんだよ』と書いていてくれて、その最後の言葉がすごく胸に響いたというか……」
デビュー後、数カ月はメディアに出なかった。当時は人前で歌うのが苦手だったので、「顔を出さずにデビューさせてくれ」と頼んでいたそうだ。
キャンペーンはしないし取材も受けないから、スケジュールはがらがら。テレビドラマ「セカンド・チャンス」の主題歌になったこともあり、曲は発売から2ヶ月足らずでヒットチャート1位に駆け上がったが、本人の生活は地味だった。
「バイトしようかな、なんて、バイト情報を集めてたりして。顔を出してないので、ばれてないし」
オリコン集計の売り上げは最終的に177万枚を超え、翌年春の選抜高校野球大会の入場行進曲にも選ばれた。至る所で自分の曲が流れていたのに、当時はひとごと。「なんか自分じゃないような、そんな気持ちでずーっといました」
デビュー15周年のとき、初の全国握手会をした。驚いたのは「TOMORROW」への人々の熱い思いだった。多くの人が涙ながらに「人生を変えてくれた曲だ」と話してくれた。
読者アンケートにもこんなエピソードがあった。
「重度の小児ぜんそくを患っていた私は、授業中や体育後に発作を起こすことがよくありました」と書くのは兵庫の27歳男性。「担任は保健室に連れて行ったり親に連絡をとったりしてくれました。ぜんそくの苦しさに加え、先生の優しさや自分への悔しさも相まって、先生の前で涙を流したこともありました」
そんな時に先生が口ずさんでくれたのが「TOMORROW」だった。「『涙を流すのは弱いことじゃないんだよ』と教えられた記憶は、今も私の胸にしっかりと刻み込まれています」 |
紙のスクラップとWebデータとで、重複保管になるのだが、ま~いいか。